努力が流行らなくても
「なに療法ですか?」
松尾芭蕉は、
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【 不易流行(ふえきりゅうこう) 】
不易を知らざれば基もと立ちがたく、
流行を知らざれば風新たならず
(訳)
不易すなわち、変えてはならない伝統やしきたりを知らなければ、基礎が成り立たない。
しかし、流行すなわち時代の変化に沿った新しさも知らなければ、新たなものは生まれない。
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と言ったらしい(弟子の向井去来が、芭蕉の考えを聞き書きした『去来抄』より)。
-流行-
福祉の世界でも、「〇〇療法→△△△療法→……」と"流行"がある。
最新の知見によって変わっていくものを理解して、新たな方法に変える、もしくは、バージョンアップさせなければならない。
しかし、バージョンアップは、うまくいっていないように思う。
「〇〇療法より△△△療法がいい」となると、〇〇療法は水に流され忘れられる、もしくは、否定されることが多いからだ。
ときどき「なに療法ですか?」と聞かれることがある。
「良いところは取り入れています」
「方法にとらわれず、人格や内面を磨いて、愛される人を育てたいと考えています」
と答える。
-不易-
部活動などで「ガンバレ!」と言いにくい時代になった。
しかし、一方では、痛みに耐えて、練習を積んで、勝ち取ること、記録を作ることに対して、称賛はやまない。
この称賛を受ける人は、
懸命に努力する
諦めない
自分に厳しい(ストイック)
これらの言葉で表現され、否定されることはない。
障害児者だけが例外・特別だということはない。
障害があっても、何連覇もしている人がいる。
その人たちは、頑張ってこなかったのか。
その人だけが特別なのか。
礼儀がシッカリしている
あいさつがキチンとできる
姿勢がいい
こういったことが良い評価をされるのも、どの子にとっても、どの世代でも、どの国でも、変わらない。
これらが身についていれば、生きていく力になる。
自分の努力で自信を獲得することも、生きていく力である。
しかし、努力を言わないようになり、努力なし・根拠なしの自己肯定感が大事だと言うようになってきた。
それでも、うぬぼれている人は評判が悪い。
謙虚であることが好まれるのも不易だろう。
あの選手だって、そうである。
-"流行"らなくても-
今の時代に、
「がんばって、がんばったら自信がつく」
というのは"流行"らないのかも知れない。
"流行"らないとしても、
子どもが生きていくために、人が生きていくために、「努力」は"不易"なものであると考えている。
だから、努力を求める。
どんなに知能指数が伸びても、
どんなに運動発達の抜けが埋まっても、
誰にも合わせられない、人と関係をつくれない、信頼されない、というのではやっていけない。
人としての基礎が成り立っていないのに、表面だけを変えても社会でやっていけない。
